小島武夫(こじま たけお)wiki|ミスター麻雀・日本プロ麻雀連盟初代会長の生涯と伝説

ミスター麻雀」——この称号が示すとおり、小島武夫(こじま たけお)は日本の麻雀界を体現した伝説の雀士でした。1936年2月11日、福岡県福岡市博多生まれ。日本で最初のプロ雀士のひとりとして、テレビ・雑誌・著作を通じて麻雀文化の普及に半世紀以上貢献し続けた人物です。「絶対に負けない麻雀」は50万部超のロングセラーとなり、テレビ番組「11PM」のレギュラーとして麻雀をお茶の間に届けました。阿佐田哲也・古川凱章とともに「麻雀新撰組」を結成し、競技麻雀の礎を作った小島武夫氏。「三色同順」「一気通貫」「一色手」を好む大物手狙いの豪快な麻雀スタイルと、「魅せる麻雀」という信条で、何百万人もの麻雀ファンを魅了し続けました。日本プロ麻雀連盟の初代会長として連盟設立をリードし、九段の段位を持つプロ雀士として晩年まで競技の最前線に立ち続けた——2018年5月28日に82歳でその生涯を閉じた「ミスター麻雀」の足跡を、初心者にもわかりやすく紹介します。

プロフィール

本名小島 武夫(こじま たけお)
生年月日1936年2月11日
没年月日2018年5月28日(享年82歳)
出身地福岡県福岡市博多
所属団体日本プロ麻雀連盟(JPML)
段位九段
Mリーグ非参加(Mリーグ発足と同年に死去)
通称・異名ミスター麻雀
雀風大物手狙い・魅せる麻雀(三色・一気通貫・一色手好み)
主な役職日本プロ麻雀連盟 初代会長・最高顧問
主なタイトル最高位2連覇、麻雀最強位、麻雀グランプリMAX、モンド名人戦など
主な著作「絶対に負けない麻雀」(50万部超)、「ろくでなし」、「小島武夫 ミスター麻雀のすべて」など約60冊

経歴:麻雀プロ第1号の歩み

福岡・博多での生い立ち

小島武夫氏は1936年2月11日、福岡県福岡市博多に生まれました。中学生のころに麻雀と出会い、その魅力に取り憑かれた小島少年は、卒業後はパン屋勤務を経るなど様々な仕事を転々とします。19歳のときに地元の雀荘で「打ち子」(雇われ雀士)として働き始め、麻雀で生計を立てる道を歩み始めました。

上京と麻雀プロへの道

27歳のときに上京した小島氏は、日本文芸社が運営する神田神保町の雀荘「アイウエオ」の従業員となります。この雀荘は当時の麻雀界の中心的な場所のひとつで、著名な雀士たちが集まる場所でした。ここで小島氏は腕を磨き、頭角を現していきます。

「アイウエオ」を舞台に行われた団体を超えたタイトル戦「名人戦」の席で、小島氏は後に「麻雀界の神様」と呼ばれる阿佐田哲也(作家・色川武大の別名)と意気投合。これが後の麻雀新撰組結成へとつながります。

日本初の麻雀プロとして

小島武夫氏は「日本で最初のプロ雀士」とも言われる存在です。1960年代後半から、プロ雀士として認知される活動を本格的に開始。1968年からはテレビ番組「11PM」のレギュラーとして出演し、テレビを通じて麻雀の普及に大きく貢献しました。「麻雀プロ」という職業の概念を日本社会に定着させた先駆者として、麻雀界の歴史に名を刻んでいます。

主な経歴年表

  • 1936年:福岡県福岡市博多に生まれる
  • 1955年頃:19歳で雀荘の打ち子として麻雀の世界へ
  • 1963年頃:27歳で上京、雀荘「アイウエオ」に勤務
  • 1968年:テレビ番組「11PM」のレギュラー出演開始
  • 1970年:阿佐田哲也・古川凱章とともに「麻雀新撰組」結成
  • 1974年:麻雀新撰組解散
  • 1978年:第3期最高位を獲得
  • 1979年:第4期最高位を獲得(2連覇達成)
  • 1981年:日本プロ麻雀連盟を設立、初代会長に就任
  • 1990年:第2期麻雀最強位を獲得
  • 2011年:第1期麻雀グランプリMAX優勝、第5回モンド名人戦優勝(75歳で2冠達成)
  • 2018年5月28日:心不全のため東京都内の病院で死去。享年82歳

麻雀新撰組と日本プロ麻雀連盟設立

麻雀新撰組の結成(1970年)

1970年、小島武夫氏は阿佐田哲也(色川武大)と古川凱章とともに「麻雀新撰組」を結成しました。阿佐田哲也は「麻雀小説の神様」として知られる作家であり、古川凱章は後に101競技連盟を設立するプロ雀士です。この3人が集まった場所は、前述の雀荘「アイウエオ」での「名人戦」でした。

麻雀新撰組は、当時はまだ未成熟だった「麻雀プロ」という概念を社会に広める活動に取り組みました。テレビ出演や雑誌への執筆を通じて麻雀の普及に尽力し、日本の競技麻雀文化の礎を築きました。1974年に解散するまでの4年間、3人は行動をともにし、麻雀界に大きな足跡を残しました。

日本プロ麻雀連盟の設立(1981年)

1981年3月、小島武夫氏は親交のあった畑正憲らとともに日本プロ麻雀連盟(JPML)を設立し、初代会長に就任しました。日本プロ麻雀連盟は現在、日本最大のプロ麻雀団体として知られており、多数のプロ雀士が所属しています。

小島氏は3年ほどで会長職を灘麻太郎氏に譲り、その後は名誉顧問・最高顧問として連盟を見守り続けました。日本の競技麻雀の制度化・組織化に最も貢献した人物のひとりとして、その功績は高く評価されています。

連盟設立の意義

日本プロ麻雀連盟の設立は、麻雀を「プロのスポーツ・競技」として確立するうえで画期的な出来事でした。それまで「ギャンブル」や「賭け事」のイメージが強かった麻雀を、正式な競技として社会に認知させる取り組みの中心に小島武夫氏はいました。現在のMリーグや各種プロ麻雀タイトル戦の礎には、小島氏をはじめとする先人たちの努力があります。

雀風・麻雀スタイル(初心者向け解説)

一言で言うと「大物手狙い・魅せる麻雀」

小島武夫氏の麻雀スタイルは、「大物手を狙い、観る人を楽しませる」ことを信条とした豪快なプレースタイルです。三色同順・一気通貫・一色手(チンイツ・ホンイツ)など打点の高い手役を好み、積極的に大きな和了りを目指す姿勢は、テレビ中継でも一際目立つ存在でした。

【初心者向け】小島武夫氏の麻雀のスゴいところ5選

  1. 「魅せる麻雀」という哲学
    小島氏は「誰が見ても納得するような麻雀でなければプロとは言えない」という信条を持っていました。技術的に正しい選択よりも、観る人を楽しませ、感動させる麻雀を追求した点が、他のプロと一線を画しています。これは現代のMリーグにも受け継がれるエンターテインメント性の原点とも言えます。
  2. 大物手への執着
    「三色同順」「一気通貫」「チンイツ(清一色)」「ホンイツ(混一色)」といった高打点の手役を積極的に狙うスタイルが特徴です。確率論的には効率が落ちる場面でも、豪快な大物手を目指す姿勢は小島氏らしさそのものでした。高打点での和了りには、観客を沸かせる迫力があります。
  3. テレビ映えするスタープレイヤー
    小島氏は麻雀界で最初にテレビで活躍したスタープロです。「11PM」では麻雀のルールを解説したり、イカサマ技「つばめ返し」をテレビで実演するなど、麻雀というゲームの面白さを視聴者に伝えました。明るく豪快なキャラクターは、テレビとの相性が抜群でした。
  4. 晩年まで続いた競技への情熱
    75歳で「麻雀グランプリMAX」と「モンド麻雀プロリーグ名人戦」の2冠を達成するなど、晩年まで高い競技力を維持し続けました。長年の経験に裏打ちされた読みと、若手にも引けを取らない勝負勘は、多くのプロから尊敬を集めました。
  5. 約60冊に及ぶ著作活動
    「絶対に負けない麻雀」が50万部超のロングセラーになるなど、麻雀技術書の分野でも大きな成果を残しました。麻雀のルールから上達法まで、幅広いテーマで執筆を続け、多くの麻雀ファンの入門書・参考書となりました。

「麻雀プロ」という職業の確立

小島氏が活動を始めた1960〜70年代、「麻雀プロ」という職業は社会的に認知されていませんでした。賭け事のイメージが強かった麻雀を、スポーツ・競技として社会に認知させるために、小島氏はテレビ出演・著作活動・連盟設立など多方面から取り組みました。現在の競技麻雀の環境は、小島氏をはじめとする先人たちの努力の上に成り立っています。

技術面での特徴

大物手を狙うスタイルは、現代のデジタル麻雀的な見方からすれば「効率が悪い」とされる場面もあります。しかし、小島氏のスタイルには「決め打ち(一本の方向に向かって打ち進む)」の強みがあり、大物手が完成したときの爆発力は圧倒的でした。また、長年の経験から培われた場の読み・相手の牌の読みも高く評価されていました。

タイトル歴と主な実績

主なタイトル

  • 第3期最高位(1978年):日本プロ麻雀連盟の主要タイトルを初獲得
  • 第4期最高位(1979年):最高位を2連覇達成
  • 第2期麻雀最強位(1990年):54歳での主要タイトル獲得
  • 第1期麻雀グランプリMAX優勝(2011年):75歳で最高峰タイトルを獲得
  • 第5回モンド麻雀プロリーグ名人戦優勝:同年に2冠達成、75歳の偉業として話題に

75歳での2冠達成という偉業

2011年、75歳の小島武夫氏は「麻雀グランプリMAX」と「モンド麻雀プロリーグ名人戦」という2つのビッグタイトルを同年に獲得しました。これは麻雀界でも前例のない快挙であり、「ミスター麻雀」が晩年まで第一線で戦い続けていたことを証明しました。若手プロが次々と台頭する中でも、経験と洞察力で勝負する小島氏の姿は多くの関係者に感動を与えました。

テレビ対局での活躍

タイトル戦だけでなく、モンドTV(現在のMONDO TV)などのテレビ対局でも長年活躍しました。テレビ麻雀の視聴者にとって、小島武夫氏は「麻雀の顔」そのものでした。豪快な大物手を完成させたときの得意満面の表情、独特の語り口、明るいキャラクター——これらがテレビを通じて多くのファンの心に刻まれました。

テレビ出演と麻雀普及活動

「11PM」への出演(1968〜1975年)

小島武夫氏のメディア活動でもっとも有名なのが、日本テレビ系の深夜番組「11PM」へのレギュラー出演(1968〜1975年)です。この番組の麻雀コーナーで、小島氏は麻雀のルール解説だけでなく、イカサマ技の公開も行いました。「つばめ返し」と呼ばれるイカサマ技をテレビで実演し、これが全国的な話題となりました。この出演を機に、麻雀が広く一般家庭に知られるようになったと言われています。

テレビ愛知「小島武夫の千里眼麻雀」

テレビ愛知では「小島武夫の千里眼麻雀」という番組を持ち、長年にわたって麻雀の普及に貢献しました。「千里眼」という番組タイトルが示すとおり、小島氏の場の読みや相手の牌の読みが注目されました。

モンドTVでの活躍

モンドTV(麻雀専門チャンネル)でも長年にわたって活躍し、「第5回モンド麻雀プロリーグ名人戦」での優勝は特に記憶に残る出来事となりました。テレビ対局における小島武夫氏の存在感は格別で、解説者・実況アナウンサーも小島氏の打牌に熱狂しました。

エンターテインメントとしての麻雀

小島武夫氏がテレビ出演を通じて体現したのは、「麻雀はエンターテインメントである」という考え方です。「誰が見ても納得する麻雀」「観る人を楽しませる麻雀」——この哲学はMリーグの設立理念にも影響を与えていると言えます。麻雀を「競技として観て楽しむ」文化の礎を作った先駆者として、小島武夫氏の功績は計り知れません。

雑誌・メディアでの活動

テレビ以外でも、麻雀専門誌「近代麻雀」をはじめとする各種雑誌で長年にわたって連載・寄稿を続けました。麻雀の戦術論から人生論まで幅広いテーマで筆を振るい、日本の麻雀文化の発展に貢献し続けました。

著作と影響力

約60冊に及ぶ著作活動

小島武夫氏は生涯で約60冊もの著作を残しました。麻雀技術書から自伝的エッセイ、勝負論まで幅広いジャンルで執筆を続けました。その著作は多くの麻雀ファンに読まれ、日本の麻雀文化の普及に大きく貢献しました。

代表的な著作

  • 「絶対に負けない麻雀」:1969年の初版以来50万部超のロングセラー。麻雀戦術書の草分け的存在で、多くの麻雀ファンの入門書となった
  • 「ろくでなし 伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年」(徳間書店):自伝的エッセイ。破天荒な人生を赤裸々に綴り話題を呼んだ
  • 「小島武夫 ミスター麻雀のすべて」(竹書房・近代麻雀戦術シリーズ):2018年に出版された集大成的な一冊。小島氏の麻雀哲学と技術が詰まっている
  • 「小島武夫の実戦麻雀「読み」のすべて」:実戦での牌の読み方を解説した技術書
  • 「麻雀 点数のかぞえ方 ひと目でわかる」:初心者向けのルール解説書
  • その他、多数の戦術書・エッセイ・対局記

「絶対に負けない麻雀」が与えた影響

1969年に出版された「絶対に負けない麻雀」は、現在に至るまで50万部を超えるロングセラーとなっています。麻雀技術書がこれほどのロングセラーになることは異例で、この本がどれだけ多くの人に読まれたかがわかります。「大物手を狙う」という小島氏のスタイルは、この本を通じて全国の麻雀プレイヤーに影響を与え続けました。

後世への影響

小島武夫氏の著作・テレビ出演・競技活動は、日本の麻雀文化全体に大きな影響を与えました。プロ団体の設立、競技麻雀の普及、麻雀のエンターテインメント化——これらすべてに小島氏は深く関わっています。現代のMリーグや各種プロタイトル戦が盛況を誇る背景には、「ミスター麻雀」小島武夫氏が切り開いた道があります。

よくある質問(FAQ)

Q. 小島武夫はいつ、どのように亡くなりましたか?
A. 小島武夫氏は2018年5月28日、心不全のため療養先の東京都内の病院で死去されました。享年82歳でした。Mリーグが設立された2018年に惜しくもこの世を去り、多くの麻雀ファン・関係者が悲しみに包まれました。
Q. 「ミスター麻雀」と「雀聖」はどう違いますか?
A. 「ミスター麻雀」は小島武夫氏の代表的な異名で、麻雀界のスター的存在・顔として広く親しまれたことを示しています。「雀聖」は同氏を称える別の呼び方として使われることもありますが、一般的により広く知られているのは「ミスター麻雀」です。いずれも小島武夫氏が麻雀界における第一人者であることを示す称号です。
Q. 小島武夫が「麻雀プロ第1号」と言われる理由は?
A. 小島武夫氏が1960年代後半から「麻雀プロ」として公式に認知される活動を始めたこと、テレビ・雑誌などメディアを通じて麻雀プロという職業を社会に広めたことなどから「麻雀プロ第1号」と呼ばれています。当時は「麻雀プロ」という概念自体が新しく、小島氏はその概念を世に定着させた先駆者です。
Q. 阿佐田哲也との関係は?
A. 阿佐田哲也(作家・色川武大の筆名)は小島武夫氏の旧友であり、麻雀新撰組の同志です。阿佐田氏は「麻雀放浪記」で知られる麻雀小説の巨匠で、小島氏との出会いは神田の雀荘「アイウエオ」でのタイトル戦でした。ふたりは古川凱章とともに麻雀新撰組を結成し、日本の競技麻雀文化の礎を築きました。
Q. 「つばめ返し」とは何ですか?
A. 「つばめ返し」は麻雀牌を扱うイカサマ技のひとつです。小島武夫氏がテレビ番組「11PM」でこの技を実演して見せたことで、全国的に有名になりました。これはあくまでもイカサマ技として紹介されたものであり、正式な麻雀の試合では当然使用できません。テレビ的なパフォーマンスとして披露されたことで、小島氏の知名度を一気に高める効果がありました。
Q. 小島武夫の著書で初心者におすすめは?
A. 麻雀初心者には「麻雀 点数のかぞえ方 ひと目でわかる」などのルール解説書、麻雀をある程度知っている方には「絶対に負けない麻雀」(戦術書)がおすすめです。小島氏の人柄や生き様に興味がある方には自伝的エッセイ「ろくでなし」も読み応えがあります。
Q. 日本プロ麻雀連盟と最高位戦・麻雀協会の違いは?
A. 日本プロ麻雀連盟(JPML)は小島武夫氏らが1981年に設立した日本最大のプロ麻雀団体です。最高位戦日本プロ麻雀協会・日本プロ麻雀協会など複数のプロ団体が存在しますが、会員数・知名度ともに日本プロ麻雀連盟が最大規模です。Mリーグには各団体のトッププロが所属チームのドラフトを経て参加しています。

まとめ

「ミスター麻雀」こと小島武夫氏は、日本の麻雀界にとって欠かすことのできない存在でした。1936年に福岡・博多で生まれ、19歳で雀荘の打ち子として麻雀の世界に飛び込み、やがて「麻雀プロ第1号」として日本社会に「麻雀プロ」という職業を定着させた先駆者です。

阿佐田哲也・古川凱章と結成した「麻雀新撰組」、日本プロ麻雀連盟の設立(初代会長就任)、テレビ番組「11PM」でのレギュラー出演——小島氏は競技麻雀の制度化と麻雀文化の普及の両面で中心的な役割を果たしました。

「大物手を狙い、魅せる麻雀を打つ」という信条のもと、三色同順・一気通貫・一色手を好む豪快なスタイルでファンを沸かせ続けました。75歳でグランプリMAXとモンド名人戦の2冠を達成するなど、晩年まで競技の最前線に立ち続けた姿は、多くのプロ雀士に尊敬と感動を与えました。

約60冊の著作(「絶対に負けない麻雀」は50万部超のロングセラー)を通じて麻雀の面白さを伝え続けた小島武夫氏は、2018年5月28日に82歳でその生涯を閉じました。Mリーグが誕生した年でもある2018年に旅立ったことは、競技麻雀の新時代のスタートと、偉大な先人の退場が同年に重なったという意味で、麻雀界にとって特別な年となりました。

「ミスター麻雀」——その称号は、今も変わることなく小島武夫氏ひとりのものです。

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